才太郎畑

日々の備忘録にしたい

【感想】『見えない性的指向 アセクシュアルのすべて』

ジュリー・ソンドラ・デッカー、上田 勢子 訳『見えない性的指向 アセクシュアルのすべて』明石書店、2019

書影。こういうの載せるとちょっとブログっぽいよね

 私は今のところ、アセクシュアルなんじゃないかな~~と思っている。「今のところ」「なんじゃないかな~~」というのは、人に恋愛感情を持ったことがないという「ない」の部分が継続されているだけで、この後の人生で人を好きになる可能性が、限りなく低いとしても完全には否定できず存在している以上、断定がしづらい。このセクシュアリティが大変なのは、このように「ない」ことを説明しなければいけない、悪魔の証明をしなければならないところだと感じる。

 手に取ったきっかけは、先日、自分の知人同士が自分の知らない間に付き合っていて、自分の知らない間に別れた愚痴を聞かされて、自分をおいて世界が回っているような疎外感を覚えて少し悩んだからだった。愚痴を言ってきた知人には私が恋愛感情がない、という話は以前したはずだったのに、それを「人に興味ない人」というひどく雑な解釈でもって捉えており、「人に興味ない人だったら気にしないでしょ」という理由で愚痴を吐く相手として選んだという、あまりに人のことを考えてなさすぎる行動だったのも腹が立った。腹立たしいし悲しいしでひとしきり落ち込んで、多少落ち着いてきた頃に、「アセクシュアル」という、自分のこのスタンスについてしっかり理解したいと思った。思えばこれまで本を読んで学ぶことはなかった。

 この本、「すべて」と銘打たれているから学術的で難しい内容なのかと思いきや、翻訳文の独特な表現はあるにせよ、全編会話調の文章で読みやすい。さらに本書で述べられていることは実はそれほど多くなくて、「アセクシュアルは病気でもなければ障害でもない、治せるものではないし、幼少期や過去の恋愛でトラウマがあってそうなったのでもない、単なる性的指向なのだ」といった、冷静に考えれば至極当たり前のことを言葉を変えシチュエーションを変え何度も繰り返しているような内容だ。がしかし、こんな単純なことを丁寧にじっくり繰り返し述べないと伝わらない世の中なのだな、と思い至って暗い気持ちにはなる。

 先日、大学時代のサークルの先輩2人と久しぶりに会ったとき、前述の友人の話(友人はサークルの同期だった)を私がしたら、その場の全員が「自分は恋愛感情とか分からないからな~~」と首をかしげてしまい、結局話はなんの進展もせずに終わって可笑しかったことがあった。大学を出て社会人になった途端、会社の先輩からは彼氏いないの?と話を振られる、同期たちは恋バナをしたがる等、世間はこんなに恋愛至上主義だったのかと愕然としたが、そう思ったのもこれまでアセクシュアルに近いスタンスの人間たちに囲まれたコミュニティで生活していたからなのだな、と感じた出来事だった。あのころの生活は帰ってこないし、本書で知ったように世界はまだまだ優しくないし、「人に恋をしない人」は年を取る度に風当たりが強くなってしまうだろう。憂鬱になりそうだけど、自分以外にも同じような人がいると知れて何かホッとしたような気持ちになれた。

 本を読んだ感想というより、自分のことにリンクしてしまって文章もまとまらなかった。とりあえず今は、もしもうダメだ~~!!!という気分になったら一回アセクシュアルの集まりに参加してみよう、と思っている。