才太郎畑

日々の備忘録にしたい

映画『オッペンハイマー』を見ました ※ネタバレ注意

※現在上映中の作品のネタバレを含む記事です!未視聴の方は注意!

 

 普段は月に一度一ヶ月間で見た映画の感想をまとめる記事を出しているが、今作は長くなりそうなので独立させて書きます。クリストファー・ノーラン監督の最新作、本年度のアカデミー賞を最多受賞した『オッペンハイマー』(2023/アメリカ)です。

 

まずはネタバレのない感想を

 Twitter(X)で親しくして頂いている方たちとこの映画を見るオフ会を敢行し、見てきた。それまでできるだけ事前に情報が入ってこないようにしていたが、風の噂で「時系列が飛び飛びでムズイ」「てかそもそもノーラン監督作品はムズイ」「登場人物多すぎて誰が誰だか分からん」「事前に史実を知っておかないとついていくのがムズイ」と聞き、恐れ慄いてノーラン監督の前の作品『TENET テネット』(2020/アメリカ)を鑑賞し、仲沢志保『オッペンハイマー』(1995、中公新書)を読んだ。

 

 結果から言うと、さすがは天下のクリストファー・ノーラン、予習がなくてもシンプルな映画の面白さで十分楽しめると思う。3時間もの長さだが全く飽きない。最序盤に出てくる謎が最後解き明かされる、伏線回収的な気持ちよさもある。しかし、ノーラン作品は時系列が飛び飛びになるなど難解な作風であるのも事実なので、史実を知っていると描かれている内容を理解するまでの速度を速くできるので、作品鑑賞においてかなり有利になる。登場人物が多すぎるはマジなので、私は全然顔覚えられずこいつ誰だっけ……を言動から史実に照らし合わせてこいつボーアか~~!を導き出す力技を脳内でやった。あっここ最近読んだ!と進研ゼミ的体験をしながら鑑賞できるので、この際Wikipediaでいいしざっくりでいいから目を通しておくのが絶対いいと思う。

 

ここからは映画内容のネタバレてんこ盛りです

 私はマンハッタン計画に参加した科学者について卒論を書いて大学を卒業しています。わざわざ記事を分けなければいけなくなるほど感想が長くなったのはそのためです。オッピー(※オッペンハイマーの実際の愛称。文献で初めて見かけた時は嘘だろと思った。日本人の感覚だとだいぶまぬけな音だよね、オッピー)単体について特別詳しいわけではなかったが(そのため卒論書いてたときに読んでた新書を読み直し知識を補填・復習し望んだ)、それでも自分が文献で読んでいたものが映像で見れたのは感動だった。暫定委員会ってあんな感じだったのか、とか。視覚的に明確になると理解が進む。オッピー個人の伝記映画とはいえ原爆開発の中心人物だし、大学の講義とかでも使えるレベルじゃない??まあ時間長すぎて無理か……

 3時間という長い時間ながら、情報が詰め込まれていて、ともすれば置いていかれそうなほどテンポもよく、また無駄がシーンがなく全てが相互に影響しあっていて映画としての完成度が高すぎる。いや、映像作品って基本意味のないシーンはないのかもしれないけどね。この映画は戦後、オッピーが聴聞会にて公職追放に追い詰められていくのに沿って展開していく(これが時間軸があっちこっちに飛んで視聴者を混乱させる原因。聴聞会での発言という体で過去回想を行う→時間軸が元に戻るという構成なので、大枠の展開は自然なはずなんだが……)が、映画最序盤のオッピーとストローズの初邂逅のシーンでストローズに向かって「卑しい靴売り」とオッピーが発言してしまったところ、靴売りも経験しながら叩き上げで今の地位まで上り詰めたストローズに対して、裕福な家庭で育ったドエリートであるオッピーがそう言ってしまうことによって一瞬で分かりやすく敵対関係を生んでいて感動すら覚えた。実際の確執の原因は、ストローズが保守派で、国際核管理構想を念頭に動くオッピーの対ソ的価値観が合わないというのが主な部分だと思うが。

 またジーンとの描写は、けっこう情報詰め詰めなのになんでこんな尺割く必要ある……?濡場のサービスシーンですか……??とかちょっと思っていたが、彼女の死によってオッピーの罪悪感が描かれ、妻・キティが放った象徴的なセリフに繋がっていくのであまりに映画がうますぎて唸ってしまった。一言一句正しいものは忘れてしまったが、「自分が引き起こした結果に同情させるな」というようなセリフ。これは赤狩りフルボッコにされるオッピーに対して原爆開発の責任を問い続けてくれるセリフであり、さらに冒頭であり最後のシーンでもある、アインシュタインの言葉に繋がっていくように感じる。このアインシュタインとの問答によって、我々は彼が、彼らが生み出してしまった世界に現在も生きているという脅威に気づかされる。この映画は今を生きる人類全員にとって普遍的なテーマをもっているのだ。全部繋がってんじゃん、すご……あと、預言者みたいな言動させても説得力が大いにあるアインシュタインの存在感、すごい。

 

 日本公開以前から話題になっていた、広島・長崎の原爆投下シーンがないという部分について。この映画はオッピー個人の伝記映画という趣旨が強く、オッピー自身が見ていないシーンを極力描かないという描き方をしているためである、ということは確認できた。原爆対日投下は、科学者の手元から原爆が離れてしまい、オッピーが不安と恐怖に駆られ始めるという表現において描かれた。一方で、原爆の脅威についてはオッピー含むロスアラモス関係者が直接目の当たりにしたアラゴモード実験にてかなり尺を割いてじっくりと描いていたため、原爆投下シーンがないこと自体に問題性はそこまで感じなかった。アラゴモード実験の爆発の際、無音の中閃光や爆炎が映るシーンが長時間続いたが、あれはあの時初めて人類が得てしまった脅威を、視聴者それぞれの脳内で想像させようとしたのではないかと感じた。人間の限界のない想像力で、あの爆発の規模の大きさと恐怖を味わってもらおうと思ったのではないかと。爆音で「正解」を示してしまうと、その音以上の恐怖は感じれないという限界があるから。……と思っていたけど、その後爆音と衝撃波が飛んできていたので読みすぎでした(あと、購入したパンフレットを読むとまた違う意図があるように思えた)。

 また、夜明けの光の中この実験の成功に歓喜するロスアラモスの科学者たちの姿は考えされるものがあった。日本に生まれ日本の歴史教育を受けた我々のみが、あのシーンに忌避感を抱くのだろう。彼らは多大な時間や労力や金を費やしたプロジェクトの成功に喜んでいるのだと頭では理解していても、自身の冷えきった気持ちが映像の中の浮足立った雰囲気との間に乖離を感じ気持ち悪くなる。それは日本人がこの映画の日本公開が決まったとき、高い確率で目の当たりにするかもしれないと身構え、また目の当たりにすることを待っていた描写だった。しかし、そう思ったシーンもほぼここのみ、全体を通して自省的であったのがむしろ意外だった。あのアメリカでこの映画が生まれたことに対し、かすかな希望をも感じる(しかしその後、そんな気持ちを曇らせるようなニュースが報道されたのも事実ではあるが)。

 ただ、被爆者の惨状が映された写真を見ているだろうシーン、ナレーションのような写真の説明セリフをバックに顔のアップを映し続けた部分は、おそらく既に様々な人が言及しているだろうがやはり批判点として挙げるよりないだろう。原爆成功、戦争終結の立役者としてスピーチを行った後オッピーが見た、路上で嘔吐する人物、あれが被爆者の象徴なのではないかという意見を見てなるほどと思ったが、象徴に留めるくらいが限界だったということか。

 

 個人的には、シラードがちゃんと出てきたのが嬉しかったです。卒論を書く上で一番多く扱ったのがシラードだったので、あえて表現するならば推し。ちらっと雑誌に乗っていた人物相関図を見た時、全く載っていなくて不安になったが無事登場していてよかった。シカゴ冶金研究所はシラードを中心に対日投下反対の運動が起きたので、因縁のストローズとか、水爆の父テラーとか以外にも、対シカゴ、対シラードがなかったら嘘だろと思った。ただちょっと口が悪いザ・おっさんみたいな風貌でちょっと笑ってしまった。実際のシラードって眼鏡かけた小太りのおじさんのイメージだからあんま似てないかもしれない。

 

 忘れないうちに、と思って帰宅後勢いで書いてはみたがそれでもけっこう抜けている。記憶力弱いので一度だけじゃ消化しきれない情報量。もう一回映画館へ、は考えていないが、今後配信される等あったらもう一度見たいな。